マークシックス(1954~1973年)

セルマーマークシックス

サックスの歴史はマークシックス以前と以後に分かれると言っても過言でないほど機構的に完成されたモデルです。

連動するテーブルキー、オフセット(一列ではなく指の形状に合わせてトーンホールを配置)に配置されたキーメカニズムなど、現在のサックスの殆どがマークシックスを模倣してデザインされています。

20年近く製造されていた間には何度かのマイナーチェンジが施されています。

1965年のマイナーチェンジではベルとU字菅の長さ変更があり、それを機に接合リングは縄目模様からギザギザ模様へと変更されています。

前期 Mark 6
前期 Mark 6(テナー)の縄目模様 (店長私物)
変更後のMark 6
変更後のMark 6(アルト)ギザギザ模様 (店長私物)

アメセルとフラセルの違い

アメリカで販売されるセルマー製品は、当時フランスで製造された部品を輸入し、アメリカで組み立てていました。部品そのものに違いはありません。製造番号も共通しています。

アメリカで組み立てられたものをアメセル、フランスで組み立てられたものをフラセルと便宜上呼んでいます。

アメリカで組み立てられた中にはネックの内径を拡げたりしたものも稀にありますが、両者の違いはラッカーと彫刻が主です。

あとはアメセルにはF#キーがない個体が殆どです。

どちらかというとアメセルは当時廉価版扱いだったそうですね。

フランス組み立ての楽器は部品ごとにラッカーを焼き付け塗装してあるためラッカーは耐久性がありました。一方アメリカ組み立ての楽器は組立てたあとその状態でラッカーを塗布していたのです。

焼き付けでない分ラッカーは大変劣化しやすく使い込むうちにアンラッカー状態になる個体が多くみられます。

いかに塗布が簡易的だったかという証拠に、当時のアメセルはオリジナルタンポにもラッカーが付着している個体が多かったそうです。組み立ててから塗布していれば致し方ない話ですね。

当時のアメリカのミュージシャン達にとっては廉価版のアメセルよりも煌びやかな状態が長持ちし、F#キー もデフォルトでついているフラセルの方が評価が高かったという証言もあります。

フランス製が高級品という当時の憧れも感じられるエピソードです。

彫刻の違いとしては アメセルの彫刻は花が咲いた状態、フラセルの彫刻は蕾(つぼみ)の状態の花模様です。

マークシックスの真価

サックスという楽器は新品の状態から吹き込んで、徐々に鳴る楽器に育っていくという側面があります。ゴムで言うと少しずつ硬さが取れて柔軟性が増していく感じでしょうか?

さらにいうと吹き込み切った楽器はゴムで言うと伸び切った状態に例えられます。

クラッシックのサックス奏者は一般的に煌びやかなサウンドを求めるので新しい楽器を好む傾向があります。

ですから例外を除けばクラシックではオールドなヴィンテージ楽器は使われることは稀です。

余談ですがクラシック奏者の中にはヴィンテージのマークシックスを古い水道管などと揶揄している方も見受けられます。(YouTubeなどでそのように扱われているマークシックスを見た事があります。少し悲しくなりますね。)

クラシックの価値観ではマークシックスは終わった楽器なのでしょう。

しかし例えてゴムの伸び切った状態の楽器であるマークシックスには独特の渋い音色、他では得られない豊かな音が確かにあるのです。

楽器は鳴りの効率だけが良し悪しの基準ではありません。ですから筆者はネックをガチガチに固定するネジなどにはあまり興味がありません。

ラッカーの残存率の少ない楽器にも特別な音色の魅力があります。よく吹き込まれていて、なおかつラッカーの残存率の低いマークシックス。

特にテナーは(テナーの音域は)適切な奏法、持久的な息の使い方でコントロールすると非常に高い演奏効果が得られると言えるでしょう。

近年の楽器でもブラッシュドサテン仕上げ、アンラッカー仕上げなどありますが、両方とも使い込んでラッカーが剥げた状態の楽器独特の演奏効果を狙っての仕上げだと言えます。

筆者はテナーではシリーズ3のブラッシュドサテンを長年使用していましたが非常にスモーキーなサウンドでしたし(流石にヴィンテージにはかないませんが)、アルトではシリーズ2がほぼアンラッカー状態になるまで新品から使用した結果、ヴィンテージさながらの枯れたサウンドの楽器に仕上がっておりました。

(現在はテナーはマークシックス、アルトはマークセブンを愛用しています。)

長年吹き込まれた楽器、その良さは時間がゆっくりと作っていったものであります。

マークシックスを終わった楽器と評価するのは大間違いだと私は思います。

正しい奏法で適切な息遣い・・マークシックスの良さに応えるにはある程度奏者の力量も必要となってきます。しかし一度味わったら決して忘れられない高みがそこにあるのです。